大判例

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東京高等裁判所 昭和47年(う)1214号 判決

被告人 吉川進吾

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岡邦俊、同栂野泰二、同古瀬駿介共同提出の控訴趣意書および同控訴趣意補充書記載のとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事本田啓昌提出の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

控訴趣意(事実誤認、法令適用の誤りの主張)について。

要するに所論は、公訴事実が原判示光文社(以下会社という。)前から豊島岡墓地前、大塚三丁目交差点、お茶の水女子大学前などを経て大塚一丁目の交差点に至る約二〇〇〇メートルの間の被告人ほか五名の城井睦夫(以下城井という。)に対する行為をとらえ、その全体を逮捕罪にあたるとしていたのに対し、原判決が、被告人らの右行為は結局、第一組合をはなれて第二組合に走り、現に会社の総務部副部長の職にある城井に対する説得を目的とするもので、その目的においては正当であつたとし、被告人らの大塚二丁目八番三号山品建設株式会社(以下山品建設という。)前から大塚一丁目交差点までの約一七五〇メートルの間の行為につき逮捕罪の成立を否定した点は、高く評価される、しかし、実際に被告人らが城井に対し有形力を行使したのは、原判決が有罪と認めた、山品建設前までの約二三〇メートルの間ではなく、被告人らの姿が会社の警備員から見えなくなり、一応その追及を免れたとみられるお茶の水大学裏門前まで、すなわち最初の約五〇メートルの間だけである。また原判決がその説示において有罪部分と無罪部分における被告人らの行為を非連続的なもののように見、城井の証言、特にその恐怖感の評価にあたり、無罪部分では必ずしもそれを信用せず、有罪部分では全面的に信用し、一貫性を欠いているのは、合理的でない、城井の証言には、全般的に作為的あるいは誇張的な色合いが濃く、信用できない、被告人らの前記有形力の行使は、これまで第一組合員が、会社前で第二組合員に対しピケッティング(以下ピケという。)を張つていた際、暴力団からなる会社側の警備員が、突然おそいかかつてきて乱暴することがあつたので、彼らの支配の及ぶ範囲から逃れて城井と話し合い同人を説得するためやむをえず行なわれたもので、その態様において未だ逮捕罪の構成要件にはあたらない、かりに、その外形をそなえているとしても、可罰的違法性がない、したがつて原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認あるいは法令適用の誤りがある、というのである。そこで、つぎに、二つの重要な問題点を検討し、これを基礎に控訴趣意について判断することとしたい。

(一)  城井および渡辺すずの各証言の信用性について。

原審において検察官は、城井の証言を全面的に信用すべきものとし、これを基礎に公訴事実の証明十分であると論じているが、果して同人の供述は、そのまま全面的に信用できるものであろうか。城井の証言は、弁護人のいうように、必ずしも虚構に満ちた作為的なものであるとは思われないが、光労組から第二組合が分裂し、城井が第二組合に走つた経緯、その後同人が会社の職制に抜擢され、警備員を指導監督する立場にあつたこと、警備員が暴力団に属するもので、ピケ中の第一組合(第二組合が結成されてから、会社に対立していた光労組、記者労組、その後結成された臨労組の三組合を合わせて第一組合という。)員に対ししばしば暴力を加え、傷害を負わせたことがあること、これが第一組合を一層硬化させ、同組合員の非難攻撃の的になつていたこと、第一組合と第二組合との反目は久しく、両組合員の間の不信感には抜きがたいものがあつたこと等の事情に徴すれば、当時城井が第一組合員と卒直に話し合えるような立場・心境になく、たとい求められても、城井としては、何とかしてそれを逃れようとするのが自然の成りゆきであつたと思われる。これが、懲戒解雇その他の手段によつて会社側に追いつめられ、自らの立場を守るに急で、相手の気持などそんたくする余裕のなかつた第一組合員、ひいて同組合の一員または支援労組員であつた被告人らに、本件における城井の言動、これに関する同人の供述を甚だしく大げさな芝居がかつたもののように感じさせたであろうことは、想像に難くない。このように本件の背景には、両者の立場の相違、その間の不信感、相互理解の不足が著しく、それが事態を悪化させた最大の原因であるといつても過言ではない。

関係証拠を総合し、事態の客観的推移をみると、検察弁護いずれの側の城井の証言に対する評価も、右のような事情に対する配慮に欠け、やや一面的であるように思われる。すなわち城井の証言は、弁護人の主張するように、必ずしも意識的に本件における被告人らの言動、これに対する自己の恐怖感を歪曲・誇張したものとは考えられないが、また、検察官の主張するように、城井の恐怖感、これにもとづく観察についての同人の供述が、これと相容れない他の供述・証言一切を排するほど信用性の高いものとも考えられない。したがつて、城井の恐怖感は恐怖感とし、あまりにこれにとらわれて、本件における被告人らの意図・行為に対する客観的認識・評価をあやまるようなことがあつてはならない。

つぎに渡辺すずの証言、特にそのうち城井が連れ去られるのを見て「こわいと思つた」旨の部分は、第三者的立場にある偶然の目撃者の供述として検察官が重視し、城井の証言と合わせて公訴事実の証明に決定的意義を有するものと解しているようであるが、当時会社地下の食堂に勤めていた渡辺が、よく食堂に出入りし、社員の食堂に対するつけを支払う立場にある城井に対し親しみをもつていたと思われる点、その城井が突然連れ去られるようにみえた点等から相当の衝撃を受けたのは当然であり、同女がこわいと思つたのは事実と思われるが、その程度につき渡辺は、直ぐ誰かに訴えなければならないと感ずるほどのものではなかつたとはつきり供述しているのであつて、「こわいと思つた」という同女の供述から直ちに被告人らの行為の違法性を推論するのは危険である。

(二)  有罪部分と無罪部分における被告人らの行為およびこれに対する城井の反応について。

城井は、両部分を通じて一貫して強い恐怖感を訴えており、両部分の間の被告人らの行為、城井の恐怖感に断絶を認めることは困難であること、したがつて本件の判断にあたつては、右の両部分を有機的に関連づけて理解する必要があること等は、弁護人主張のとおりである。

しかし、これだけを根拠に一部を有罪としたのはあやまりであると論難するのは早計で、有罪部分をそのまま維持できるかどうかは、原判決が無罪部分について説示するところを参考にしつつ、関係証拠によつて認められる、有罪部分における被告人らの行為の具体的態様、周囲の客観的状況などに即して慎重に判断しなければならない。

原判決が有罪と認定した部分は、公訴事実中でも、被告人らが直接有形力を行使した部分(このうち、かなり強い有形力を行使したとみられるのは、最初の約三〇メートルと思われる。)だけであり、この間の被告人らの言動には、―たとい被告人らがいかに追いつめられ、焦慮していたにせよ、―穏当を欠く点があつたことは否定しがたく、関係証拠を総合すれば、原判決が「罪となるべき事実」として判示しているところは、外形的にはほぼ認められ、原判示に関するかぎり、事実誤認の疑いはないといえる。したがつて、本件の問題点は、かような外形的事実があるのにかかわらず、逮捕罪の成否を否定しうるかどうかにある。この点については、かなり微妙な問題があり、逮捕罪の成立を認めた原判決の判断にも一理ないとはいえない。しかし、当審における事実取調の結果を参照し、先に指摘した観点を基礎に検討すると、原判決が有罪と認定した部分についても種々の疑問を免れない。たとえば城井は、被告人らが自分をどこに連れてゆくか、そして自分にどんなことをするか分らなかつたので非常に恐ろしかつた旨供述し、被告人らがあたかも手段を選ばぬ暴力団員であるかのようにいつているが、

(1)  城井は、被告人とはかねての顔見知りで、被告人がかつて同じ組合に属していた雑誌記者であることを十分知つていたこと。また普通ならば、城井は、被告人以外の五名が第一組合のピケに対する支援労組員で、しかもそのうち一人が女性であることに直ちに気づき(会社前から山品建設に行く途中、お茶の水女子大学裏門を過ぎたころ城井から尋ねられて、支援労組員はその立場を明らかにしている。)、被告人らの意図が自分との話合いにあることを理解しえたと思われること、(2) 公訴事実で被告人らが逮捕罪に問われているのは、午前七時四〇分ごろから八時一五分ごろまでの公道上の行為で、その間通行人がとだえるような状況はなかつたこと、(3) 被告人らが城井を誘い、あるいは連れてゆこうとしたのは、いずれも人の自由に出入できる喫茶店、公園などで、城井もそのことを知つていたこと、(4) 被告人らは、終始城井に対し、ことさら殴打するなどの暴行を加えたこともなければ、脅迫的言辞を弄したこともなく、何らそのための道具等も用意していなかつたこと、むしろ会社の前から約二三〇メートルへだたつた山品建設前を過ぎてからは、城井の腕をはなし、被告人と城井との間に臨労職員の解雇・契約の更新拒否、光労組員の解雇、会社に暴力団がいることなどについて比較的穏かな話合いが行なわれていること、(5) このような状況であつたのに、城井は、大塚一丁目交差点に至るや、突如交通整理中の巡査に背後から抱きついて救いを求めたり、同巡査の助言により被告人と二人だけで交番で話し合うことになつたのに、またも交番の前から逃げ出したりしていること

等の状況が認められるのであつて、以上の状況に徴すれば、被告人らの意図・考え・行動とこれに対する城井の反応との間には、ちぐはぐなものがあり、城井の恐怖感ないしこれについての供述には、いささか異常なものがあるように思われる。この恐怖感がどのような性質の、どのような事情を背景にするものであるかは暫くおき、被告人らが有罪部分をも含め、終始城井との話合い、同人に対する説得を目的としていたことには疑いない。この被告人らの意図・目的に、以前会社の前で第二組合員に対するピケを実施中の第一組合員らが、しばしば会社の社屋内から突如とび出してきた警備員におそわれ、その中には傷害を負わされたものもあつたこと、本件当日も被告人らは、早朝ピケを実施するため会社の南側の通路に集合待機していた際、城井が同所に姿をみせる一〇分くらい前に、警備員五名が自動車で会社に乗りつけ、その通用口から社屋内に入つたのを現認していたこと、したがつて被告人らは、城井の姿を認めたときには、すでに警備員が配備につき出動態勢にあつたと思つていたこと、現に城井が被告人らに連れてゆかれて間もなく、警備員がそのことを知り、城井や被告人らの所在をつきとめようとして、会社付近一帯の道路を手分けして探索して回わつた事実があること等の事情をも合わせ考えると、原判決が有罪と認めた被告人らの原判示行為は、被告人らが、城井を警備員の妨害の及ばない適当な場所に誘つて説得しようとしてされたものと認めるほかはない。ただ、民主社会において人の身体・行動の自由が最大限に尊重されなければならないこと、および目的が必ずしも手段を正当化するものでないことを思うと、被告人らの行為は、相手方の立場・心理に対する理解に欠け、短兵急にすぎて不穏当のそしりを免れず、この点誤解を受けてもやむをえないといえるであろう。しかし、事の経過を見ると、被告人らが突然城井を取り囲み、被告人らのうち二名が同人の両脇に手を差し入れ、一名が背後から押すなどして、会社付近歩道上から音羽通りを横切り(その間城井が腰を落したので、両脇でかかえ上げるようにして多少急ぎめに車道を渡つている。)………と原判示のような行動に出たのは、城井が、会社の付近まできながら、被告人らの待機している状況を見て引き返しかけたことから、この機を逃すと、同人を説得する機会が当分失なわれることを危惧し、どこか警備員の妨害の及ばない場所で同人を説得しようと考えた結果と認められる。このように、被告人らの城井に対する有形力の行使は、同人に対する説得を有効に実施するための場所の選定に伴うきわめて短時間のものにすぎず、しかも、城井の身体に対し殴打、足げりなどの暴行を加えていないのはもちろん、その着衣その他に対しても何ら損傷を与えていない程度のものである。逮捕罪とは、人の身体を直接に拘束する手段を講じ、その行動の自由を現実に奪うことで、通常その手段は、社会的常軌を逸した暴行または脅迫によると解されるが、これまで説いたところから明らかなように、本件が午前七時四〇分ころの公道上のきわめて短時間の、しかも緊迫した特殊な事態のもとでの偶発的な出来事と思われること、被告人らには、右のような暴行脅迫を加える意思も、そのような行動に出た形跡もなかつたとみられること等の状況に徴すれば、本件は、―なお外形的には、逮捕罪にあたるようにみえるが、―被告人らの守ろうとした利益とその侵害した法益との権衡、労働組合法、刑法を含む法全体の精神からみて、果して危険な反社会的行為、特に刑法上の犯罪としなければならないほど常軌を逸したものといえるかどうか頗る疑わしく、………結局本件は、同法二二〇条一項の「不法に人を逮捕」したという犯罪として処罰するに足りる実質的違法性をいまだ備えていないと解するのが相当である。したがつて、右と異なる判断のもとに、被告人を逮捕罪に問擬した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りがあり、破棄を免れない。

そこで、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に則りさらにつぎのとおり自判する。

本件控訴事実は、「被告人は、ほか数名と共謀のうえ、昭和四六年二月四日午前七時四〇分ころ、東京都文京区音羽二丁目一二番一三号株式会社光文社前付近路上において、同会社総務部副部長城井睦夫に対し、光文社労働組合員らの解雇に反対の意思を表明させるなどのため同人を拉致して追及することを企て、同人を取り囲んで両腕をおさえ、脇下に手を入れてかかえあげ、あるいは、後方から押し、腕を引つ張るなどして、同所から豊島岡墓地前、大塚三丁目交差点、お茶の水女子大前、大塚窪町公園等を経て、午前八時一五分ころ、同区大塚三丁目五番一号前大塚一丁目交差点まで強いて連行し、もつてその間同人の身体の自由を拘束して脱出を不能ならしめて不法に逮捕したものである。」というのである。

しかし、本件公訴事実中、原判決の「罪となるべき事実」欄に判示された部分に該当する事実は、すでに説示した理由により、また、その余の事実は、原判決の「本件公訴事実中犯罪の成立を認めない部分についての判断」欄に説示されているのと同じ理由により違法な逮捕とは認められず、本件公訴事実は罪とならないから、刑訴法四〇四条、三三六条前段により被告人に対し無罪の言渡しをすることとして、主文のとおり判決する。

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